はじめに
こんにちは。記事をご覧くださり、ありがとうございます。
今回は、廣枝音右衛門氏慰霊祭についてお話したいと思います。
留学手続きには関係ない内容になりますが、日本統治時代や台湾の歴史にご興味のある方は是非読んでいただけると嬉しいです。
廣枝音右衛門氏慰霊祭とは
毎年9月26日前後に、台湾中部の苗栗縣獅頭山勧化堂にて執り行われている慰霊祭です。
廣枝音右衛門氏とは
廣枝音右衛門(ひろえだ おとえもん)氏は勧化堂にお祀りされている日本人です。
廣枝音右衛門氏は1905年、神奈川県足柄下郡に生まれます。23歳で歩兵隊に入隊、1930年25歳の時に台湾に渡り、台湾総督府巡査になりました。
1943年に海軍巡査隊の総指揮官に任命されます。同年12月、台湾人の部下500名を連れ激戦地であるフィリピンの首都マニラに赴きました。
米軍の攻撃は日増しに悪化していきます。廣枝部隊の隊員たちを含め、数多くの死傷者が出ました。そしてついに、廣枝部隊にも特攻隊としての突撃命令が下されます。
兵隊たちには戦車に体当たりするための地雷棒や円錐弾が渡されました。しかし、廣枝音右衛門氏は数名の部下たちと共に壕に逃げ入り、こう言いました。
「お前たちは台湾から来た者だ。家には妻子父母兄弟が待っているだろう。連れて帰れないのが残念だが、お前たちだけでも生けるところまで行け。俺は日本人だから責任は俺がとる。」
そして、同じ壕にいた部下の楊坤芳氏に自身の軍刀を託し、拳銃で頭部を打ち抜き自決しました。
慰霊祭の始まりと現在
生き残った部下の台湾人日本兵たちは、命を救ってくれた廣枝音右衛門氏を決して忘れませんでした。そして1976年9月26日、獅頭山勧化堂にて英霊が安置されました。
それから毎年欠かさず慰霊祭が執り行われてきました。
歳月の流れとともに当時の隊員たちも減り、2007年には小隊長だった劉維添氏お一人となってしまいました。それでも劉氏は毎年慰霊祭を催されてきました。
その劉氏も2013年にお亡くなりになり、とうとう当時を知る人は一人もいなくなってしまいました。しかし、現在でも劉氏の想いを引き継いだ方々によって慰霊祭は続けられています。
おわりに
台湾でお祀りされている日本人、知らない人も多いのではないでしょうか。私も台湾に留学に来なければ、きっと知ることはできなかったと思います。
去年(2023年)はコロナ禍が明けたことで、久しぶりに廣枝音右衛門氏のご遺族の方々が慰霊祭に参加されました。
慰霊祭は毎年9月26日前後に執り行われています。一人でも多くの人(特に学生)に廣枝音右衛門氏について知っていただき、そして慰霊祭に参加していただけると幸いです。慰霊祭のバスツアーはどなたでも参加可能です。
今回はここまでになります。最後までお読みくださり、ありがとうございました。